次の日の早朝、二人は納屋から出てきた。
気ぃつけて、とすずは見送る。ご家族によろしゅうなと言って、改めてすずに向き直る。「すず、お前べっぴんになったで」と言って笑った。じゃあのう、と言って、哲は帰って行った。すずは、手に持っていた羽ペンを握りしめた。
朝食の時、哲が帰ってしまい、晴美は残念そうだった。もっと色々聞きたかったようだ。いただきます、と朝ごはんを食べようとすると、「ただいま」と夜勤明けの円太郎が帰って来た。どうした?と聞くと、「どうもこうもないわ」とサンは言った。何があったか分からず、きょとんとしている。すずは、立ち上がって円太郎の食事の準備をした。
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昭和19年 大晦日。
もち米の配給があった為、近所の人達と北條家で餅つきをした。男性陣が餅をつき、女性陣が談笑しながら餅をこねる。すずは周作と目が合うが、視線を逸らした。
家の中に入って、みんなでお茶を飲んでいた。すずは堂本さんから、戦地の兄から便りはあるか聞かれた。全然なかった。そういうもんなんじゃね、と志野と頷き合った。
隣部屋の男性陣にお茶を渡した幸子は、周作に呼び止められ、同僚の鳴瀬を紹介しようかと持ちかけられた。場の空気が凍る。周作だけ気づいていない。「女心がわかっとらん」とすずが小声で呟くと、女性陣はみな、静かに頷いた。しかし幸子は少し考えて、「周作さん。よろしゅうお願いします」と頭を下げた。
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昭和20年2月。
要一が戦死したという知らせが届き、すずと周作は江波で葬儀に参列した。イトが周作に自己紹介する。こんな形でだけれど、会えて良かったと。周作もお会いできて嬉しいですと伝えた。十郎は、要一の遺影を見ていた。イトは心配して声をかけ、「うちは行けんのか…
」と呟いた。
台所ですみは、すずにいつまでいられるか聞いた。今晩の列車しか取れなかった。じゃけ帰らんと、とすずは申し訳なさそうに答えた。残念じゃね、お母ちゃんとすみがキセノに声をかけたが、キセノは話を聞いていなかった。母の様子がいつもと違う為、2人は心配する。すると、キセノが手招きしてひそひそと、あれは要一と違う。要一は死んでいないと言った。「なんで分かるん?」とすみが聞く。その時、キセノはイトに呼ばれて台所を離れてしまう。
ひと段落し、みんなでお茶を飲む。座布団を何枚も積み上げて、その上に要一の遺骨を置いた。これで同じ高さになるじゃろ。しばらくすると、ごとっと要一の遺骨が机に倒れて来た。どういう事かと驚く。遺骨を持ち上げたすずは、その軽さにさらに驚いた。紐を解こうとするすずに、「すずさん。遺骨は…全部は持って帰れんのが戦場じゃ」と周作が言った。
十郎も、どんな骨が入っているのか分からない。これを持って来た陸軍のお偉いさんに、開けるなと言われた、と話した。すると、うちは開けてみたよ、とキセノから爆弾発言が飛び出した。
その時、空襲警報が鳴った。防空壕へ避難しようとするが、キセノはその場を動こうとしなかった。十郎が声をかけようとして、バランスを崩し、要一の遺骨を落としてしまう。その衝撃で蓋が開き、中から小さな石が出て来た。すずは思わず手に取って、「石…」と呟いた。どういう事じゃと、十郎も驚きを隠せない。
「あの子は死んどらんのよ。帰って来るわそのうち。ね!?違うんよ」とそれまで黙っていたキセノが言葉を発した。イトは周作にどういう事か尋ねる。
周作 「考えられるんは、お兄様の部隊が、敵によって全滅し、全員玉砕したと、結果だけが分かっとる場合…。つまり……」
周作がその先を言えないでいると、「ほうか、なるほど」と、イトは周作に頭を下げた。キセノは、あの要一が簡単に死ぬわけないと信じていなかった。信じようとしなかった。イトは「そうじゃね、ほいでも…」と、小さな石を持って、
「なんか冴えん石じゃねぇ。これじゃあ、帰ってきた時の笑い話にもならん」と言って、手に持っていた石を放り投げた。イトは「もっといいのないかねぇ…もっと立派な石入れよう」とキセノに言う。キセノは堪え切れずに、大きな声を上げて泣き崩れた。イトはそんな娘を抱きしめ、背中をさすった。キセノの目から大粒の涙が零れた。
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帰りの汽車の中。
すずは周作に、あんな石を見てしまったら、どう悲しんでいいか分からない、と気持ちを洩らした。周作はほうじゃのうと言って、少ししてから「言いたい事があるんじゃないんか、わしに」と聞いた。言うたらええ。
「ええんですか」と、すずが切り出した。これまでの腹だたしさを周作にぶつける。哲が来た晩の事、自分に子供ができないからいいと思ったのか。周作は、ほんまはあの人と結婚したかったくせに、と言った。だんだんと言い合いがヒートアップして、声も大きくなっていった。
そこへ、「お二人さん」と声がかかった。振り返るとそこに、「切符を拝見」と手を出した車掌が立っていた。切符を取り出して車掌に渡すと、「呉までに終わるとええが、その喧嘩…」と言われ、周囲の乗客たちの間から笑いが起こった。2人はすみませんと周りに頭を下げた。お互いに顔を見合わせると、汽車が大きく揺れ、バランスを崩したすずを周作が抱きとめる格好になった。周作は、そのまますずを抱きしめた。
すずは心の中で要一にお礼をいった。お兄ちゃんが仲直りさせてくれたんじゃね、きっと。
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ある雪の降る日の北條家
すず以外の全員が風邪をひいて寝込んでいた。
一人でみんなの看病をするすず。そんな中、径子がザボンが食べたいと、子供のように駄駄を捏ね始めた。あまりにもザボン、ザボンと連呼するので、他の皆も食べたくなった。仕方なく、闇市にザボンを買いに行く事にした。外に出る支度をしながら、紙で包んだリンドウの絵が描かれた茶碗を、鞄に入れた。
ザボンを買った後、すずはリンのいる店の前までやって来た。窓が開いていて、中にいた女性から、リンに会いに来たのかと声をかけられる。はい、とすずは窓の方へ向かった。その女性も咳込んでいて、風邪をひいているようだった。「ちょっと頼んでもええですか」と、すずは女性に包みを外したリンドウの茶碗を取り出した。その様子を、ちょうど2階の窓を開けたリンが見ていた。
「きれいか、お茶碗たい」と、女性が言った。この茶碗をリンに渡して欲しいと頼む。「リンさんによう似合うてじゃけ、あげます」と伝えて欲しいとも。「すずです。北條すず」とすずははっきりと言った。女性はわかりましたと、茶碗を受け取った。
すずは彼女の左手に包帯が巻かれているのに気がついた。若い水兵に括られて、川に飛び込んだ時のものだという。あんな川では死ねるわけない、風邪をひいただけの事だと。冬にするもんじゃないねぇ、と笑った。
また咳が出はじめたので、すずはこれ食べて、とザボンを1個差し出した。お大事にと言って、すずは帰ろうとする。女性に一礼して歩き出すと、リンは窓を閉めて店の中に入った。
2階から降りてきて、先ほどの女性に「テルちゃん」と声をかけた。テルは今貰ったと、ザボンをリンに見せた。そして、リンドウの茶碗も渡すが咳が出てきてしまい、リンがテルを寝かせて背中をさすってあげる。
北條家に帰ってきたすずは、ザボンを剥いてみんなに分けた。みんな嬉しそうに食べている。「ずーっと風邪じゃったらええのに、みなさん」とすずは呟いた。
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平成30年8月 広島市。
佳代は、あの家の持ち主と待ち合わせをしていた。佑太郎も付いて来ていた。どういう人か聞いて見ると、「友達…親友?」という答えが返ってきた。ある朝、仕事に行く途中で、介護の仕事は別に自分じゃなくてもいいんだよな、と思ったら心も体も動かなくなってしまった。その時に「大丈夫?」と声をかけてくれた女性が、北條さんだった。
それ以来の親友だという。世界で一番好きな人。「でも、おばあちゃんなんでしょ?」と佑太郎が聞くが、でも親友、と佳代は言い切った。そこへ、北條さんがやってきた。初対面の佑太郎と挨拶を交わした。
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昭和20年3月。
すずと晴美は段々畑に来ていた。双葉を摘んで帰ろうとすると、大きなエンジン音がして、たくさんの戦闘機が空を飛んで行った……。